中国人による国内営業
- 米山伸郎
- Jul 1, 2019
- 4 min read
Updated: May 19, 2020

A君はクリスチャンであった。
私の会社に入る前に肝臓がんを患い、大手術の後、入院中に同じクリスチャンの妹の勧めで聖書を読み入信したという。
毎週末には恵比寿の教会に通っていた。
たまたま話題が宗教の話になると彼のキリスト教の解説が続く。
こちらのほうから何らかのきっかけで「三位一体」と口走ると、A君は嬉しそうに「米山さん、キリスト教をよく知ってますね」と言いつつ私に入信を勧誘しそうになるのであった。
専修大学で経済学士と修士を取得し、その担当教授にも大層可愛いがられていた。 私も一二度A君からこの教授を紹介してもらっている。
中国の権力者No.1、No.2の習近平国家主席と李克強首相が留学か何かで日本にいた時代にお世話をした日本人で、数年前まで日中協会会長を務められていた御仁にもA君は良くかわいがられ、いろいろな日中関係のイベントの手伝いや勉強会にも呼ばれていた。
その勉強会つながりでホテルオークラの役員を引っ張ってきてくれ、当社が扱っているインテリアグッズの紹介をさせて頂いたりもした。
初対面でも物おじせず、ある意味図々しくというか堂々と名刺交換するのも得意であった。
ある時は駐中国全権特命大使の名刺を私に見せてくれたりした。
Aさんとの出会い
A君と出会ったのは日本にいる留学生や転職希望の外国人就労者に対する合同説明会に参加した2013年の末頃である。

学習机サイズの机1つ分のスペースのブースだが参加料は十数万円と安くは無かった。午前9時から午後5時くらいまで「会社紹介」として会社が目指しているビジョン、今どういったお客様とどういった仕事をしているのか、なぜ外国人材を採用したいのか、外国人材にどういった仕事をして欲しいのか等、切々と話し続けた。
その結果、創業から1年も経っていない当社なのに1日で10名近くの就労希望者の申し込みを受けた。
その中でも中国人が5名近く、韓国人が数名いたのでまずはご近所の中韓から1名来てもらおうと両国の申込者に連絡を入れた。
ただ、実際に面接に応じたのは中国人男女4名と韓国人女性1名であった。
さらに日時を守って面接に来られたのは中国人男性2名と中国人女性1名であった。
この3名に、日中間のビジネスとして自分のチャレンジしたいビジネスモデルを統計資料など含め論理的にメモにまとめて私に提出するという課題を与えた。
こちらの真剣度を表す意味で一人5万円+交通費を支払った。提出は新年を迎えた後の1月末であったと思う。
当方はもともと20代の若者を採用するつもりでいたが、実際に採用したA君は既に37歳を過ぎていた。
3人が出してきたレポートはどれも深い考察がなく、説得力を与える統計データも添付されていなかった。
その時は正直「5万円x 3人分は無駄だった」と思った。
それではなぜA君を採用したか。
Aさんを採用した理由・一緒に働く生活
彼だけが私に年賀状を送り付け、その中で自分が「採用されたならやってみたいこと」を情熱的に書いてきたからである。
単に「情に訴えてきた」といえばそれまでだが、もともと商社で「接待営業」を通じ、「情に訴えてきた」私にはそれが決め手になり、20代の中国人2人ではなくA君を選んだ。
ただ、これには後日談があり、「接待営業」も彼に期待したのだが、肝臓がん手術以後は酒どころか冷たい飲み物を一切受け付けない体となっていたのである。
創業から丁度1年が過ぎた当社に入社してくれたA君は、当時の神田の共同オフィスの狭い部屋の中でも一生懸命私の役に立とうと頑張ってくれた。
上述の通り、初対面の方々にも物おじせず、人懐っこく仲良くなってお客様にも好かれていった。
ただ、彼に対しては新規案件獲得の期待が強いばかりに、昼食中にもその手の催促ばかりをすると、さすがに温厚なA君も「そんなに言われるとプレッシャーです」と拒否反応を正直に示していた。

2015年秋にA君と苦楽を共にした神田オフィスから今の恵比寿のオフィスに引っ越すときも、彼が私の車に乗って一緒にファイルやオフィス用具一式を運んでくれたことも懐かしい思い出である。
また、ある時、横浜での仕事の帰りにたまたま中華街に寄って、上海小籠包のお店で食事をした際には、上海にいらっしゃるお母様が毎朝美味しい小籠包を作ってくれた話など中国での話を色々としてくれた。
正月の3日か4日には必ずわが家にも来てくれ、わたしの家族ともよく話をしてくれ人気者のA君であった。
肝臓がんの再発は2016年の夏で、その年の10月にA君は帰らぬ人となってしまった。
恵比寿の教会の皆様のご手配で葬儀が営まれたが、当社のお客様や、専修大学の教授、日中協会会長など多くの方々に参列頂いた。
日本で色々とつらい経験もあったであろうが、彼が日本を好きであったことは間違いないと思っている。
その彼のストレートな思いがお客様やそれなりの地位の方々にも伝わっていたからこそ、A君は「情」を大切にされる方々に受け入れられたのであろう。
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