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人懐っこい中国人A君③

Updated: Jan 18, 2021




Aさんを採用した理由・一緒に働く生活

彼だけが私に年賀状を送り付け、その中で自分が「採用されたならやってみたいこと」を情熱的に書いてきたからである。

 

単に「情に訴えてきた」といえばそれまでだが、もともと商社で「接待営業」を通じ、「情に訴えてきた」私にはそれが決め手になり、20代の中国人2人ではなくA君を選んだ。


ただ、これには後日談があり、「接待営業」も彼に期待したのだが、肝臓がん手術以後は酒どころか冷たい飲み物を一切受け付けない体となっていたのである。


創業から丁度1年が過ぎた当社に入社してくれたA君は、当時の神田の共同オフィスの狭い部屋の中でも一生懸命私の役に立とうと頑張ってくれた。

上述の通り、初対面の方々にも物おじせず、人懐っこく仲良くなってお客様にも好かれていった。 


ただ、彼に対しては新規案件獲得の期待が強いばかりに、昼食中にもその手の催促ばかりをすると、さすがに温厚なA君も「そんなに言われるとプレッシャーです」と拒否反応を正直に示していた。 


2015年秋にA君と苦楽を共にした神田オフィスから今の恵比寿のオフィスに引っ越すときも、彼が私の車に乗って一緒にファイルやオフィス用具一式を運んでくれたことも懐かしい思い出である。


また、ある時、横浜での仕事の帰りにたまたま中華街に寄って、上海小籠包のお店で食事をした際には、上海にいらっしゃるお母様が毎朝美味しい小籠包を作ってくれた話など中国での話を色々としてくれた。


正月の3日か4日には必ずわが家にも来てくれ、わたしの家族ともよく話をしてくれ人気者のA君であった。肝臓がんの再発は2016年の夏で、その年の10月にA君は帰らぬ人となってしまった。恵比寿の教会の皆様のご手配で葬儀が営まれたが、当社のお客様や、専修大学の教授、日中協会会長など多くの方々に参列頂いた。


日本で色々とつらい経験もあったであろうが、彼が日本を好きであったことは間違いないと思っている。


その彼のストレートな思いがお客様やそれなりの地位の方々にも伝わっていたからこそ、A君は「情」を大切にされる方々に受け入れられたのであろう。

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